Up 山田秀三「アイヌ語種族考」(1972) 作成: 2020-02-01
更新: 2020-02-01


      山田秀三 (1972), pp.82,83
     その頃には、本を読んで蝦夷非アイヌ説の論争も知ってきた。
    私の研究から見ると、アイヌ語系の地名の群在する土地と、ある時代の蝦夷勢力圏が大体一致しているようだ。
    しかし、調査屋のくせである。 一歩踏み留まって、アイヌという観念と、蝦夷という観念を吟味してみたくなった。
     アイヌ人と言い、アイヌ民族と言うが、その言葉の意味が、分ったようでいて、はっきりしないところがある。
    今まで逢ってきたアイヌ系の人は、土地によって顔も体格も違うみたいだ。 相当な混血の経過があるのではないか。
    日本人とか日本民族だって同じことが言えそうだ。
    よくアメリカ人という、成立過程中のような集団を想い出す。
     血液、生活慣習、国籍や国境 (政治的なもの)、言葉などがからみあって、人種とか民族とかいう観念ができているらしい。 言う人によって、また話す場合によって、その重点を置くところも若干ずれているやに見える。
    私のような調査では、もう少し言葉を狭くして、誰でも同じように分る観念で整理した方が正確だと、考えた。
    アイヌ語種族という言葉を思いついたのは、そんな経過からであった。
    アイヌ語を話していた人々という意味である。
    民族と言うと、何となく、すぐ血液のつながりを連想しがちであるから、一応その点と切り離して考えたかったからである。
     知里さんに話したら、《山田さん、ずるいですよ。蝦夷がアイヌ語を話していたんだったら、結局同じことになるんじゃないんですか》と言った。 だが話している中に、その用語と考え方が正確だと賛成してくれた
     それでも、『東北と北海道のアイヌ語地名考』を印刷する時には、更に一歩控えて、〈東北地方と北海道に、同系語族がいて、これらの地名を残した〉と書いた。
    この二つの地域の間に方言差が当然考えられる。 それで大和の言葉と琉球の言葉は同系のもの、というくらいの意味のつもりだった。
    このごろ書く時には、つめてアイヌ語族とも書いたりしている。
     研究はこれが終点ではない。 分り易くするために、まずこの角度で考えただけである。 皆で、血液、骨格、生活の手段、社会慣習、国境、国籍や戸籍等々の、別々の角度からも研究を静かに続けたいものである。
    民族という言葉で、短兵急に判断するのは、まだ研究すべきものが多く残っているように思われる。


    「民族という言葉で、短兵急に判断するのは、まだ‥‥」
    このことばは,時代背景に "アイヌ"イデオロギーの攻勢がある。
    例えばこの論考がパブリッシュされた 1972年は,つぎのようなことが起こる年である:

    この日本民族学会は,1989年につぎの「見解」を出すことになる:
     「 アイヌの人びとの場合も, 主体的な帰属意識がある限りにおいて, 独自の民族として認識されなければならない。‥‥
    アイヌ民族文化が, あたかも滅びゆく文化であるかのようにしばしば誤解されてきたことは,民族文化への基本認識の誤りにもとづくものであった。」
    それは,研究がイデオロギーに屈した時であった。
    ここにアイヌ学者は終焉した。

  • 引用/参考文献
    • 山田秀三 (1972) :「アイヌ語種族考」
      • 『山田秀三著作集 アイヌ語地名の研究 1』, 草風館, 1995, pp.73-104