| 註: | 数学の方法論の一つに,「一般的に語る」がある。 一般的に語ることは,これまで意識していなかったものの発見になる。
また,バラバラに存在していたものを一挙に整理し,世界を見やすくする。
 
 「一般的に語る」は数学者の体質になる。
 そこで,数学の授業でも,「一般的に語る」をやってしまう。
 学習者は,その「一般的に語る」が何のことかわからない。
 この学習者の側の「わけがわからない」に対して授業者が鈍感だと,お互い不幸なことになる。
 
 環・イデアルの授業も,環・イデアルの定義から始められると,学習者にはわけのわからないものになる。
 環・イデアルの授業は,何から入っていくか?
 「環・イデアル」の世界を窺わせること・この世界の概観をもたせること・この世界の意義を感得させることからである。
 
 
 | 註 : | 「環・イデアル」のことばは,これの内容を表すものではない。「群」「体」と同様,命名に意味はない。
	しかし初学者は,こんなことにも混乱し,躓いてしまう。 | 
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