Up アイヌヘイトと "アイヌ"ヘイトの区別 : 要旨 作成: 2019-08-28
更新: 2019-09-02


    アイヌは,終焉した存在である。
    アイヌヘイトは,アイヌが存在していた時代のものであり,いまの時代にはあり得ないものである。

    今日「アイヌヘイト」と称されているものは,"アイヌ"ヘイトである。
    ここで "アイヌ" とは,「アイヌ」を自称 (僭称) する者のことである。
    この自称は,一定の思考・行動様式と合わさっている。
    "アイヌ"ヘイトは,この様式に対するヘイトである。


    "アイヌ"ヘイトは,サヨクヘイトと重なっている。
    こうなってしまうのは,もともと "アイヌ" の思考・行動様式が,1970年前後に盛り上がった左翼ムーブメントの中で形成されたものだからである。

    この様式は,《社会の不正義を暴き,これを糾弾する》である。
    ひとの生活は,正義・不正義で成っているわけではない。 それは系の均衡相であり,「流儀」として現れる。
    しかし,この様式は,自分を正義とし,自分の正義と合わない流儀を不正義にする。

    「正義実現」を行動しようとする者は,行動を目的で合理化する。
    「正義実現」の行動は,もともと無理矢理のものであるから,一方的で策略的なものになる。
    それは,<卑劣>を特徴とする。
    "アイヌ" とそのイデオロギー陣営はことば狩り・言論狩りをキャンペーンしてきたが,それはこのようなものである。

    いまだと,「アイヌ遺骨返還」キャンペーンである。
    これは,人に有無を言わせない正義として「遺骨供養」を立てる。
    しかしこれは自分たちのの浅はかさを曝す──墓穴を掘る──ことになる。
    アイヌは遺骨に意味を措く者ではないからである。


    《社会の不正義を暴き,これを糾弾する》イデオロギーで悪者にされる側は,このイデオロギーを用いる者を厭うことになる。
    <事情に無知で,幼稚な言を吐き,卑劣な行動をする連中>として厭うことになる。

    但し,ひとの多数派は,「眉をひそめる」(てい)で彼らを甘受する者である。
    「人間色々」「係わったら面倒」のスタンスをとる。
    しかし,少数派に「サヨクヘイト」にまで行ってしまう者がいる。

    これについては,「眉をひそめる」と「ヘイト」の差を見ることが肝要である。
    その差は,思慮の有無である。
    「眉をひそめる」は思慮の相であり,「ヘイト」は思慮の無さの相である。

    思慮の有無は,言説に示される。
    ヘイトの言説は,ハチャメチャである。