Up イデオロギー 作成: 2021-12-08
更新: 2022-01-31



    わたしがこれまで生きてきてその中で論考してきたことは,つぎの3つの論考にまとまる:
    そしてここが,『イデオロギー』の論考である。


    なぜイデオロギーが,3つのうちの1つなのか?
    イデオロギーとはつぎのものだからである:
      《ひとを虚偽の「わたしとは何か」に導き,束縛する》
    『わたしとは何か』『自由の方法』『イデオロギー』は,3つで1つなのである。


    『イデオロギー』の論考は,概論と各論で構成する。
    各論は,いまはつぎの4つである:

    この順番に意味はない。
    これまで手をつけてきた順番に並べただけである。
    『地球温暖化デマゴギー』は,手をつけはじめたところである。


    これらを通観すると,今日のイデオロギーの特徴が見えてくる。
    今日のイデオロギーは,グローバルイデオロギーである。
    イデオロギーはこれを正義にする権威と洗脳システムを枠組とするが,グローバルイデオロギーの場合は,特に国連が権威になり,マスコミが洗脳システムを務める。
    そして,これはいつの時代もそうであるが,未熟な/出来の悪い学者がこのイデオロギーに付く。


    ひとはなぜイデオロギーに付くのか。
    学者でイデオロギーに付くのが未熟な/出来の悪い学者であるのは,どうしてか。
    イデオロギーに付くのはだれにもできることだからである。

    イデオロギーは,「善の側に立って悪を退けよ」を唱えるものである。
    「善の側に立って悪を退けよ」は,だれでも参加できる。
    ひとはもともと,悪に罰を与えたいと思う手合いだからである。
    そして,誰・何が悪であるかは,そのイデオロギーが指し示してくれている。

    自分はそれらについて悪し様に物を言えばよい。
    悪を糾弾するのに,知識は要らない。
    必要なのは善の気持ちだけだ。
    イデオロギーに付くことは,知識無しで済ませられることである。
    イデオロギーに付くことは,科学を知らないで済ませられることである。


    善は絶対であるから,善に付く自分は絶対である。
    こうしてイデオロギーは,物を知らないが偉そうな物言いをしたがる者たちを集める。
    そして結局,それは大衆規模になる。

    ネットを見てごらん。
    何の知識も無い者が,悪の糾弾をしているよ:
      「アイヌ民族を否定する阿呆/悪者」を糾弾
      「新型コロナで自粛・ワクチン接種に従わない阿呆/悪者」を糾弾
      「CO2 排出を地球温暖化の原因と認めない阿呆/悪者」を糾弾


    そしてこの手合いがイデオロギーに利用される。
    わたしの世代だと,毛沢東文化大革命の紅衛兵がいちばんの例に挙がる。
    今日だと,これかな:

    国連は,このようなイデオロギーの場である。
    国連がこうであるのには,こうなる理由がある。
    国連は,こんなふうになるのみである。
    困るのは,国連を(かしら)(いただ)く国に,日本がなっていることである。
    そして,国連のイデオロギーを,国の政策にしてしまう。

    各論は,このようなことを押さえていくところとなる。