Up 貝澤正, 1912-1992 作成: 2016-10-14
更新: 2020-02-16




      貝沢正 (1971), pp.125,126
    は自らの意見も言わず、例を述べるに過ぎないが共感を得たものを列記した。
    もう一つ、十勝の女子高校生の稿をお借りして新しいアイヌの考えを知ってもらいたい。
    『歴史を振り返ることによって真の怒りを持つことができる
    「差別されたから頭に来た、あいつらをやっつけたい
    それはそれだが、そんな小さな問題に目を向け右往左在しているだけでは駄目だ。
    私たちがアイヌ問題を追って行く時突き当る壁は同化ということだ。
    明治以来の同化政策の波は、もはや止めることはできないだろう。
    私は、何とか、アイヌの団結でシャモを征服したいものだと思った。
    アイヌになる。
    北海道をアイヌのものにできないものか。
    だが、アイヌの手に戻ったとしても差別や偏見は残るだろう。
    やはり、根本をたたき直さねばならないのです。
    アイヌは無くなった方がよいという考え方、シャモになろうとする気持が、少しぐらいパカでもいいからシャモと結婚するべきだと考えている人が多いと思う。
    私の身近でも、そういう人が随分いる。
    私はこのような考え方には納得できない。
    シャモに完全に屈服している一番みにくいアイヌの姿だと思う。
    これは不当な差別を受けても "仕方がないのだ " と弱い考え方しかできない人たちなんだと思う。
    アイヌだから、差別されるから、シャモになった方が得なんだと言うなら、それは悪どい、こすいアイヌだ。
    なぜ差別を打倒しないのか。
    なぜ、アイヌ系日本人になろうとするのか。
    なぜアイヌを堂々と主張し、それに恥ることのない強い人間になれないのか。
    どうしてアイヌのすばらしさを主張しようとしないのか?
    私は完全なアイヌになりたい。
     個人が自己を確立し、アイヌとして真の怒りを持った時、同化の良し悪しも片づけることが出来ると思う。
    強く生きて、差別をはね返す強い人間になることだ。』


      貝沢正 (1972)
    北海道の長い歴史のなかで、大自然との闘いを闘い抜いて生き続けてきたアイヌ。
    北海道の大地を守り続けてきたのはアイヌだった。
    もっとも無智蒙昧で非文明的な民族に支配されて三百年。
    アイヌの悲劇はこのことによって起こされた。
    アイヌの持っていたすべてのものは収奪され、アイヌは抹殺されてしまった
    エカシ達が文字を知り、文明に近づこうとして学校を作ったが、この学校の教育はアイヌに卑屈感を植えつけ、日本人化を押しつけ、無知と貧困の賂印を押し、最底辺に追い込んでしまった。
     世界の植民地支配の歴史をあまり知らないが、原住民族に対して日本の支配者のとった支配は、おそらく世界植民史上類例のない悪虐非道ではなかったかと思う。
    アイヌは『旧土人保護法』という悪法の隠にかくされて、すべてのものを収奪されてしまったのだ。日本史も北海道史も支配者の都合で作られた歴史だ。
     アイヌの内面から見た正しい歴史の探究こそ望ましい。
    敗戦後の教育を受けた若い人々の声が出てきた。
    "正しいアイヌの歴史を" と。またこのこととあい呼応して、アイヌ民族の生活文化を保護、保存するための資料館を建てたい、と。
    (中略)
    アイヌの血がアイヌを呼び起こしたのだ。
    アイヌの歴史を書き改める基盤ができた。
    資料館を足場として、若いアイヌが闘いの方向を見極め、これからの正しい生きかたの指標としていくことを期待したい。


      貝沢正(1991), pp.261,262.
     「開発」というのは自然破壊だからね。ちっともよくない。
    アイヌにすれば。昔は豊かではないけれど精神的な豊かさは持っていたわな。食うことの心配はないだろうし、仲間同士の意識もはっきりとつながっていただろうし。
    ところがこの私有財産制というのを押しつけられて、今のアイヌは変わってきているんでないだろうかな、残念ながら。
    自然保護する、自分の周りをよくしようなんて考え方がなくて、やっぱり、なんちゅうかね、シャモ的な感覚に変わってきた
    もっと悪いというのは、教育受けてないから教養がない
    例えば萱野(茂) さんと主張しているダム問題にしたって、理解してもらえるのは (アイヌではなく) むしろシャモのインテリの人でしょう。
    チフサンケ (舟おろし) のお祭りにしたって、二風谷の祭りでなくよその祭りだって言われてる。 二風谷の人が何割かしか出てないんだよ
    どこかやっぱり、表だっていう事に対して反感が地元にある。
    昔のアイヌというのは、例えば門別の奥だとか、鵡川(むかわ)の奥あたりでも不幸が出たら、必ず悔みに行くんだよ。 コタンから一族郎党引き連れて、三日ぐらいかかるんだよ。 お祭りがそうだし、お祝いがあったってそうだし。 そういうつきあいだけでも、働く暇がないくらいさ。


    引用文献
    • 貝沢正 (1971) :「近世アイヌ史の断面」
        所収 :『コタンの痕跡──アイヌ人権史の一断面』, 旭川人権擁護委員連合会, 1971. pp.113-126.
    • 貝沢正 (1972) : 「アイヌ文化資料館」開館挨拶 (『近代民衆の記録』5、月報)
        所収 : 新谷行『増補 アイヌ民族抵抗史』, 三一書房, 1977, pp..275,276.
    • 貝沢正 (1991) : 「アイヌモシリ,人間の静かな大地への願い」
        所収 : 『アイヌわが人生』, 岩波書店, 1993. pp.247-276.