Up 「形式陶冶説批判」とは何であったのか?
── 長田新『形式的陶冶の研究』の場合
作成: 2013-08-11
更新: 2013-09-08


Making『「学校数学」論』
Making 『「数学の勉強は何のため?」の答え』
最終論考 :『マクロ数学教育学──定立と方法』


学校数学は「形式陶冶」として立つのみ
「形式」の存在措定
学校数学「無用の用」論の方法
学校数学は形式陶冶
「形式」の記述

オンラインブック版
PDF 1.73 MB

作成: 2013-08-25
更新: 2013-09-08


作成/更新履歴
  • <分野・領域>は,<形式>と相応じる (13-09-07)
  • <形式が現れる>は,<我が消える>と相応じる (13-09-07)
  • 形式は,内ではなく外にある (13-09-07)
  • 「形式」とは?:要旨 (13-09-07)
  • 「形式陶冶」は,作用主陶冶の対立概念 (13-09-05)
  • 「形式陶冶説批判」の要素とミスマッチ (13-09-05)
  • 作用主陶冶は,学校数学の<生きる>に用いる方便 (13-08-25)
  • 何を教えるか?」の答えは,「何でもよい(13-08-25)
  • 数学科の独自性の捉えに不足 (13-08-25)
  • 「分科主義 (孤立主義)」の捉え損ない (13-08-25)
  • おわりに (13-08-22)
  • 「形式陶冶説批判」に映る学校数学の力学:要旨 (13-08-22)
  • 「作用主陶冶」の思想/哲学:要旨 (13-08-22)
  • 「形式陶冶説批判」の構造:要旨 (13-08-22)
  • 作用主陶冶説批判の哲学:要旨 (13-08-21)
  • 作用主陶冶説の哲学:要旨 (13-08-21)
  • 教授法の閑却 (13-08-20)
  • 学校数学改造の契機:要旨 (13-08-20)
  • 「形式陶冶」と「作用主陶冶」の位置関係:要旨 (13-08-20)
  • 『研究』の論構成:要旨 (13-08-20)
  • 「形式陶冶」の捉え:要旨 (13-08-20)
  • 「学校数学=生態系」 (13-08-20)
  • オルターナティブ (13-08-18)
  • 学校数学改造の歩み (13-08-18)
  • 数学教育学の力学 ─ 研究者エゴ:要旨 (13-08-17)
  • 「形式陶冶説批判」とは何であったのか?:要旨 (13-08-17)
  • 「人間教育」 (13-08-16)
  • 作用主陶冶主義は,能力主義出口論の含意 (2013-08-15)
  • 対立の見掛けと本質──研究者エゴ (2013-08-15)
  • 「形式陶冶」の押さえ (13-08-14)
  • 学校数学の捉えに弱さ:要旨 (13-08-14)
  • 作用主陶冶説批判の今日的射程:要旨 (2013-08-14)
  • 作用主陶冶主義は,認知科学の含意 (2013-08-12)
  • 「生きて働く力」 (2013-08-12)
  • 作用主陶冶/能力説の押さえ (13-08-12)
  • 「形式陶冶」を作用主陶冶/能力説に転じる (13-08-12)
  • 「教育がなってない」を「形式陶冶」に転じる (13-08-12)
  • 「形式陶冶」の実感と年齢の関係 (13-08-11)
  • 『研究』の年齢と哲学 (13-08-11)
  • 「形式陶冶」論のスタイルと年齢の関係:要旨 (13-08-11)
  • プラグマティズム (13-08-11)
  • 形而上学批判 (13-08-11)
  • 作用主陶冶/能力説批判 (13-08-11)
  • 作用主陶冶説批判 (形而上学批判) の限界/無力 (13-08-11)
  • 表象主義/合理主義 (13-08-11)
  • 「数学的○○」 (13-08-11)
  • 「作用主が作用」──能力説・認知科学 (13-08-11)
  • 「形式陶冶」の古典的捉え (13-08-11)
  • はじめに (13-08-11)

  •     
     0.  導入

      はじめに


     1. 「形式陶冶説批判」の構造

     1.0 要旨

     1.1 「形式陶冶」を「作用主陶冶」に解釈
      1.1.0 要旨
      1.1.1 本論考の謂う「形式陶冶」──古典的「形式陶冶」
      1.1.2 『研究』の謂う「形式陶冶」──「作用主陶冶」

     1.2 『研究』の論構成
      1.2.0 要旨
      1.2.1 「教育がなってない」を「形式陶冶」に転じる
      1.2.2 「形式陶冶」の押さえ
      1.2.3 「形式陶冶」を作用主陶冶/能力説に転じる
      1.2.4 作用主陶冶/能力説の押さえ
      1.2.5 作用主陶冶/能力説批判
      1.2.6 「人間教育」

     1.3 学校数学の捉えに弱さ
      1.3.0 要旨
      1.3.1 教授法の閑却
      1.3.2 「分科主義 (孤立主義)」の捉え損ない
      1.3.3 数学科の独自性の捉えに不足


     2 「作用主陶冶」の思想/哲学

     2.0 要旨

     2.1 作用主陶冶説の哲学
      2.1.0 要旨
      2.1.1 「作用主が作用」──能力説・認知科学
      2.1.2 表象主義/合理主義

     2.2 作用主陶冶説批判の哲学
      2.2.0 要旨
      2.2.1 形而上学批判
      2.2.2 プラグマティズム
      2.2.3 作用主陶冶説批判 (形而上学批判) の限界/無力

     2.3  作用主陶冶説批判の今日的射程
      2.3.0 要旨
      2.3.1 作用主陶冶主義は,能力主義出口論の含意
      2.3.2 作用主陶冶主義は,認知科学の含意
      2.3.3 「生きて働く力」
      2.3.4 「数学的○○」


     3. 「形式陶冶説批判」に映る学校数学の力学

     3.0 要旨

     3.1 学校数学変革の契機の構造
      3.1.0 要旨
      3.1.1 学校数学改造の歩み
      3.1.2 オルターナティブ

     3.2 「学校数学=生態系」
      3.2.0 要旨
      3.2.1 対立の見掛けと本質──研究者エゴ
      3.2.2 「学校数学=生態系」


     4. 「形式陶冶」とは?

     4.0 要旨

     4.1 「形式陶冶」と「作用主陶冶」の位置関係
      4.1.0 要旨
      4.1.1 「形式陶冶説批判」の要素とミスマッチ
      4.1.2 「形式陶冶」は,作用主陶冶の対立概念
      4.1.3何を教えるか?」の答えは,「何でもよい
      4.1.4 作用主陶冶は,学校数学の<生きる>に用いる方便

     4.2 「形式」とは?
      4.2.0 要旨
      4.2.1 形式は,内ではなく外にある
      4.2.2 <形式が現れる>は,<我が消える>と相応じる
      4.2.3 <分野・領域>は,<形式>と相応じる

     4.3 「作者の年齢」
      4.3.0 要旨
      4.3.1 『研究』の年齢と哲学
      4.3.2 「形式陶冶」の実感と年齢の関係


     5. 閉じ

     
     おわりに